お金持ちのたしなみというイメージがあるスポーツは?と聞かれたら、皆さんはどんなものを想像しますか?
私はやっぱりゴルフです。
ゴルフは男女ともに多くの人々に親しまれていますよね。もちろん、若い世代もたくさんいますが、全体的にはどちらかと言うと酸いも甘いもの掻き分けた大人の方が多いような気がします。
そんなゴルフですが、皆さんお気づきでしょうか?
ゴルフには審判がいません。
代わりとなるような審判的役割のスタッフが常駐しているわけでもありません。
審判がいないなかで、ゴルフはどのようにプレイが成立しているのでしょうか?
今回はゴルフの審判不在の謎について迫ってみました!
ゴルフは「不正を犯す人はいない」という前提で成り立っている
ゴルフにはなぜ審判はいないのでしょうか?
そこには、スポーツのルールではどちらかというと珍しい性善説的な価値観が関係していました。
ゴルフのルールは、すべてのゴルファーがルールを遵守しており、故意にルール違反をするものはいないと言う前提で成り立っています。
そのため競技中は、1人1人のプレイヤーがエチケットとルールを守ることが何よりも大事。
スコアも自分で確認して記入
ゴルフでは審判が立ち会うことがないので、各プレイヤーは各ホールのスコアを自分で記入しています。ですので、このスコアは必ず正しく記入しその数字に責任を持つことが求められます。
しかし、自分で判断に困るようなショットもありますよね?
その時には競技委員と呼ばれる人を呼び、判定してもらうことが可能です。
しかし競技委員に決定権はなく、プレイヤーと意見が分かれた場合は打ち直しが可能です。競技委員に決定権がないというところに、この制度を悪用してはいけない、というか悪用する人はいないだろうという前提が垣間見えますね。
ところが…
もしもスコア改ざんが発覚したら…?
さる2006年に、このゴルフの性善説の精神を踏みにじるような事件が日本ゴルフ界で相次いでしまったのです。
なんと、プロゴルファーによるスコアの改ざんが立て続けに発覚しました。
ゴルファーとしてあるまじき行為だとして、男子プロには5年、某女子プロには10年の出場資格停止処分が下されました。
審判がいないことを悪用した場合には、たとえ1度でも非常に重い処分が下されます。
審判を置かないことこそ、ゴルフの矜持
たとえこのような事件があっても、ルールは変わらず審判制度は導入されていません。
それはなぜでしょうか?
ゴルフというスポーツは紳士のたしなみであり、何よりも礼儀や格式を重んじます。ルール違反に対するペナルティー制度を作ってしまうと、それがつまりルール違反ができる、違反の可能性が存在するスポーツになってしまいますよね。
そのような悪意を持つ選手が存在するスポーツになってしまっては、簡単に言えば格好がつかないわけです。
ゴルフはそのようなスポーツではないということを、今でも矜持として持ち続けているのです。
この崇高で美しい性善説の価値観が、ゴルフに他のスポーツとは違う独特の優雅さを与えているのかもしれませんね。