テニスが日本で普及し始めたのはいつ頃から?日本テニス文化の歴史

テニス文化の歴史

錦織選手をはじめ、日本人の若手テニス選手の活躍がめざましい今日このごろ。

テニスは今、アスリートによる競技としてだけでなく、レジャーとしても広く普及している。
しかしながらこのスポーツ、日本に伝来してきたのはいつ、どこで、何ゆえだったのだろうか?

今回はそのルーツに迫ってみよう。

日本へのテニス伝来は文明開化と共に

時は明治時代。脱亜入欧のスローガンを掲げていた当時の日本は、教育にも西洋のスポーツを取り入れていく動きがあった。

一説では、当時日本に教師として来日していた米国人、リーランド氏が体育の授業の際に用具を取り寄せ指導したのが、日本人がテニスに初めて触れた始まりとされている。しかし同じ様な働きが横浜・神戸・長崎などの港町を中心に行われていたため、定かではない。

はっきりとしているのは、脱亜入欧と共に日本に入ってきた“ハイカラ”なスポーツであったということである。そして当時の高等教育を受けられる様な裕福な人々の間でのみ行われたスポーツであったようである。

広くレジャースポーツになったのは昭和から

そして昭和初期ごろから、日本人は教育観点から離れ、レジャースポーツとして広くテニスを始めるようになった。しかし、現在普及している硬式のゴムボールは海外からの輸入のみであったため、非常に高価だった。そのためか、当時の日本のテニスは軟式が主流であった。

ラケットは木製の国内生産のものが広く使用され、現代とは違って真っ直ぐなバドミントンラケットの様な形をしていた。そしてボールは軟式でおなじみのゴムボールならまだ良い方で、時にゴムまりで代用をしていたというのだから驚きである。代用してまでプレーする、それだけ市民の間に広まっていたことが伺える話だ。

テニス黄金期の幕開け

一般市民の間では軟式が主流だった昭和初期の日本。
実は、硬式テニス界でも黄金期と言える時代だった。

特に昭和8年(1933年)頃のテニス選手、佐藤次郎の活躍は目まぐるしく、2年連続でウィンブルドン準決勝まで出場し、世界ランキング3位まで登り詰め、日本のテニス界を大いに盛り上げた。しかしながら翌年、彼は病に倒れ、遺書を残しマラッカ海峡に入水してしまう。当時この悲劇は、戦前の混乱に掻き消され、知るものは少なかったという。

テニスブームに火をつけた、新しい風

時は流れ、高度成長期の日本でテニスは空前のブームとなった。アンダースコートを履いた本格的なテニスウェア、マイラケット、テニスシューズなどを一式揃え、休日にはテニスをたしなむ。そんなライフスタイルが生まれたのもこの頃である。

そのブームの火付け役が、漫画家・山本鈴美香氏の名作『エースをねらえ!』だ。

現代のいわゆるスポ根漫画の元祖であり、あの松岡修造氏がテニスをするきっかけともなった作品である。(現に松岡氏は、ウィンブルドンの試合中に作中の台詞を叫んでいる)アニメ化、実写化もされた大ヒット作であり、日本のテニス人口を爆発的に増やした。この名作は各国語に翻訳され、世界中で愛されている。

世界から日本へ、そして日本から世界へ広がるテニス文化

初めは日本人の体育教育のために“輸入”されてきたテニスだが、今では日本のスポーツブランドのテニス製品を愛用する外国人選手や、エースをねらえ!を愛読する外国人がいる。まさに輸入から輸出への逆転であり、取り入れた新しい文化を昇華させてより良い形で発信するのは日本のお家芸だ。

錦織選手をはじめ、日本のプレイヤーが将来グランドスラムで優勝したとき、明治の日本に撒かれたテニス文化の種が、一つ実を結んだと言えるのかもしれない。いつかその日が来るまで、応援したいですね。