皆さんはテニスのファッション、というとどのようなスタイルをイメージされるでしょうか?
おそらくですがポロシャツ、ハーフパンツ、テニススコートなど、とても活動的かつ独特のデザインをもった、いわゆる『テニスウェアー』的なイメージをもっている方が多いかと思います。しかし、テニスはかつてフランス貴族がたしなんでいた遊びが原点のスポーツ。そこには今では考えられないでも優雅で、やんごとなき事情がありました。
今回はそんなテニスウェアの歴史を紐解いてゆきましょう。
かつては室内で行われていたのが、庭へ
テニスは、中世のフランスで貴族が宮殿や僧院でレクリエーションとして楽しんでいたゲームである、小さくて硬いボールを打ちあう『ジュ・ド・ポーム』というものから派生していったスポーツです。四方を壁と天井に囲まれた立派な室内コートで行われていました。
屋外でプレイされていた『ジュ・ド・ポーム』を改良し、屋外の芝生(ローン)の上で行うテニス『ローンテニス』が考案されたのが、現代の屋外で行うテニスの始まりといわれています。日本語でも、テニスは『庭球』と言いますね。もともとお金持ちの貴族が、自宅の庭でたしなむスポーツだったのです。
ローンテニスは、自宅の庭で、友人たちをパーティーに招いた際にゲーム的に遊ぶものでしたので、当時はわざわざそのために動きやすいウエアに着替えるという発想はありませんでした。ですので、最初期のテニスはパーティに参加する為の華やかな服装のまま、プレイをしていました。
女性はベール付きの帽子に鈴の付いた長袖のブラウスに、コルセットでウエストを細く細く絞り込み、芝生をこするほどのロングスカートにハイヒール(!)男性は山高帽にフロックコート(いまの燕尾服のようなもの)という服装でテニスをしていたのです。
きっかけは、英国ウィンブルドン
前述したように、もともとテニスは着飾った格好のままプレイされていました。
まともに走ることもできず、腕を思い切り振りかぶることも困難な格好でしたから、プレイの内容も、まるでお正月にたしなむ『羽根つき』のような軽いレクリエーション程度のものでした。
こんなフランス生まれのローンテニスを大きく変えたのは、お隣の英国でした。あまりにも有名なテニス大会の地でもある、ウィンブルドンで、1873年に正式なトーナメント制のスポーツ大会が行われました。その流れから、長かった女性のスカートがどんどん短くなって行き活動的なものになりました。そして男性のフロックコートに山高帽のスタイルも、どんどん活動的なシャツスタイルへと変貌していきます。
ズボンの丈が、いったりきたり
20世紀に入ると、テニスウェアーは特に足元がドンドンと活動的になって行きます。
男性はまず動きやすいゆとりのある膝丈のハーフパンツまで短くなってゆき、最後には太ももがすべて見えるほどのショートパンツまで長が短くなっていきます。
女性もまた、足首近くまであったロングのスタイルから、膝丈、ショートスカートに、アンダースコートを履くスタイルへと変貌していきます。
しかしながら21世紀に入ってから、太ももが見えるほどのショートパンツは逆に姿を消してしまいます。しかしながら21世紀に入ってから、太ももが見えるほどのショートパンツは姿を消して行き、ふたたび膝あたりまでのハーフパンツへと逆流する現象が起きてきました。
これは動きやすい、動きにくいといった機能面の問題ではなく、単純にトレンドの問題とも言えそうなお話です(笑)
21世紀の初めごろに太ももが見るほどのショートパンツを履いた場合少しおじさん臭いという風潮があったのかもしれませんし、単純に男性が太ももを全て出すまるで少年のようなスタイルが現在のファッションのトレンドと大きく離れてしまったからかもしれません。
テニスウェアはトレンドと隣り合わせ
もともと貴族たちがおしゃれをしてたしなんだスポーツであるテニス。
その中には実は現代にもあるのかもしれません。テニスウェアはスポーツウェアの中でも特にトレンドに左右される部分が多いといえます。
それは機能性はもちろん考慮してあるのですが、襟の形やそで丈、ズボンの丈など実は時代によってとても変化が目まぐるしいのです。2000年代初頭に日本の若者の間で非常に大流行したリストバンドは、テニスウェアから来ていますし、サッカーに次いで、非常にファッションと距離の近いスポーツと言えるでしょう。
毎シーズンごとに変わるテニスウェア。各メーカーの広告塔にもなっている選手たちはいつも最新鋭のスタイルを身に付けています。ぜひその色とりどりの個性豊かなテニスウェアにも目を向けてみてくださいね!!