バレーボールの誕生時、コート内で同時にプレイできる人数は無限だった!?驚きの初期ルールあれこれ

バレーボール
バレーボール

みなさん、バレーボールはお好きですか?

最近はあまり見なくなりましたが、かつて1980〜90年代には、お昼休みに会社の屋上でバレーボールを楽しんだりする姿もよく見られたりと、バレーボールは日本人にとって比較的身近で、人気のスポーツと言えると思います。

そんなバレーボール、いつ、どこで生まれたのでしょうか?
そして、初めから今のようなスタイルだったのでしょうか?

今回はそんなバレーボールのはじまりについての特集です!!

アメリカ生まれの新しい室内スポーツ

バレーボールは、バスケットボールと同じアメリカ生まれのスポーツです。
1895年2月9日、アメリカ・マサチューセッツ州の学校、YMCAでウィリアム・G・モーガンという体育指導員が考案しました。

同じ室内スポーツでもバスケットボールとは違って運動量がそれほど多くなく、人と人がぶつかってしまう危険もなく、女性や子供でも気軽に楽しめるスポーツとして考え出されたのがはじまりです。

他の多くのスポーツと違って、古代のルーツなどはなく、専門の方が新しく目的を持って作られたというのが特徴になっていますね。
しかし、バレーボールを生み出す上で参考にされたスポーツはいくつかあっようです。

バドミントンやテニスをヒントにした

ウィリアム氏はバレーボールを生み出す時にまず、バドミントンテニスをヒントにしました。

その理由はバドミントンやテニスは、女性やお年寄りが気軽に楽しめ、室内でもプレイされていたからです。その上、人と人がぶつかる危険性も低いですね。

その二つのスポーツを参考にして、ウィリアム氏はコートの中央にネットをはり、それをはさんでプレーすることを思いつきました。

そして、バドミントンやテニスに必要なラケットを取り去り、手を使ってボールを打ち込むスタイルにし、バレーボールは特別な道具をあまり必要としないスポーツにしたのです。

その同時のバレーボールはバドミントンのネットを使っていたため、ミントンネットミノネットと呼ばれていました。
その後、ネットをはさんでボールを打ちあうスタイルがテニスのボレーに似ていることから、バレーボールと命名されたのです。

当初、バレーボールはチームの人数が決められていなかった

バレーボールが考案されプレーされはじめた当初は、なんと1チームの人数が決められていませんでした。
そのため、試合の日に集まった人たちを同じ数の2チームに分け、全員が同時にコートに入り、試合をしていたのです。
つまり、40人集まれば20人対20人、10人ならば5人対5人で、コート内でプレーしていたのです。
その後、ルールが整備され、バレーボールの全米大会が開かれるようになった1922年ころに、やっと現在と同じスタイルの6人制になったのです。

攻撃と守備が分かれる、野球と同じ9イニング制だったころも

さらに、バレーボール誕生当初と現在で大きく違うところがもう一つあります。
それは得点方式の違いです。
なんと、バレーボールは誕生当初は9イニング制だったのです。

9イニング制とは何かというと、各チーム交互に攻撃と守備に入れ替わって得点を重ね、それを9回繰り返して勝敗を競うことです。
この9イニング制を今も実装しているスポーツ、もうみなさんお気づきかもしれませんが、野球ですね。
そう、バレーボールは誕生当初は野球と同じ試合運びでプレーしていたのです。

バレーボールルールイニング制

攻撃側選手がサーブ権を持ち、守備側チームがボールを返球できなければ1ポイントを獲得でき、逆に攻撃側チームが返球できなければ1アウトを取られます。3アウトで攻守交代となり、次のイニングへ進みます。そして9イニングまでにより多くのポイントを取った方が勝ち、というルールでした。

9イニング制のルールも同じく全米大会の行われる1922年ごろには廃止され、現代と同じ、15点を先に入れた方が勝ちとなる15ポイント制に変わりました。

バレーボールの16人制、12人制、9人制は日本ならではのルール

バレーボールが日本に初めて紹介されたのは、1910年ごろでした。もちろんその時は全米大会もまだでしたので、まだルールが明確に定められていたわけではなく、1チームでプレイできる人数も先述したように決まっていませんでした。

その時、日本は独自にルールをつくり、最初は1チーム4人×4列の16人制で試合を行っていました。
その後、12人制に移行。24年に明治神宮大会が始まると9人制になり、協調制を養うスポーツとして中学や高校の体育の授業に取り入れられ、普及することになったのです。

日本独自のバレーボールが現在も愛されている

バレーボール公式大会では、国際ルールである6人制が採用されていますが、現在でも9人制はママさんバレーなどで根強く愛されています。

バレーボール世界日本違い

バレーボールは、戦後の日本の何もない状態からでも、比較的プレイすることができたスポーツだった上に、1920年代は欧米の文化をたくさん受け入れはじめたころであったころでもあります。
このことからも、日本人とバレーボールは誕生当初から密接に関わってきていました。

独自の戦法やルールを多数編み出し、1960年の東京五輪ではその強さから女子チームが東洋の魔女として注目されていたことも有名です。

時は遡り2020年。またオリンピックが東京に帰ってくることになりました。
今回のバレーボール日本チームは、どのような活躍を見せてくれるでしょうか?

今後も、日本のバレーボール界から目が離せませんね!!

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