マラソンのはじまりは紀元前?ある一人の兵士のマラソン誕生秘話!!

マラソン
マラソン 陸上競技

みなさん、マラソンはお好きですか?
ご自身で走る方、観戦がお好きな方、様々いらっしゃると思いますが、現存するスポーツの中でもこんなにもシンプルでわかりやすいスポーツもないのではないか、と思うほどその内容は単純明解。

ずばり42.195kmを走りきり、タイムを競うこと。

しかしこのマラソン、なぜ42.195km走るのでしょうか?
どうしてこのような、微妙な数字になっているのでしょう?

始まりは遥か昔、紀元前490年

なんとマラソンのはじまりと言われているのはおよそ2500年前の紀元前490年にさかのぼります。

ギリシャ

アテネを攻め落とすために約10万人のペルシャ軍が、マラトンと呼ばれる地に上陸しました。

しかしそこに潜伏していたアテネ軍に、ペルシャ軍は撃退されてしまいます。少数精鋭だったアテネの部隊は、10万人ものペルシャ軍を倒したことに沸き立ちました。

そしてそのことを伝令として、マラトンから首都のアテネまで伝えることを命じられた兵士、フェディピディスが、一度も止まらずに走り続けた距離が、現代での距離にして約40キロだったのです。

なんと悲しいことに、現在のマラソンと違いコースも整備されておらず、給水もせずに40キロ走り続けたマラトンは、アテネに到着し勝利を告げたとともに、息を引き取ってしまいました。

フェディピディスの功績は、アテネの人々に深く感銘を与えたとされています。

フェディピディスの功績をたたえ、マラソンが生まれた

時は進み、1896年。
アテネで行われた記念すべき第一回近代オリンピック(アテネ五輪)でのことです。

ギリシャに伝わるフェディピディスの功績を称え、そして偲んだ結果、マラソンという競技が考え出されました。

マラソン

当時ギリシャで開催された際は、実際にマラトンの戦場記念碑から、アテネの競技場までの約40キロを走る競技でした。

もしも、アテネ軍がペルシャ国破れていたら、マラソンと言う競技が生まれる事はなかったのです。

なぜ、40キロから42.195になったの?

アテネ五輪で初めて行われたマラソンでは、先述の通り、マラトンにある戦場の記念碑からアテネの競技場までの距離を基準にしていたので細かい規定はなく、約40キロとされていました。

しかし、現代のマラソンの距離は42.195キロと詳細に決められています。

実は、アテネ五輪での実際の走行距離は現代の技術で精密に計測したところ実は36.75キロしかなかったそうです。
アテネ五輪以降も、マラソンは約40キロと言うルールでオリンピックで毎回行われておりましたが、そのたびに距離はまちまちで、一定ではありませんでした。

1921年の国際陸上競技連盟の定例総会で、ようやくマラソンの距離が正式に決定されました。

1908年にロンドン五輪で、現代のマラソンの走行距離である、42.195キロが、その時初めて定められたのです。

しかしながらなぜ、40キロなどのキリのいい距離ではなく42.195キロになったのでしょうか?

これには様々な説がありますが、この説がとても有力です。

ロンドン五倫のマラソンコースは、当初北欧の子のウィンザー城前からスタートで、シェファードブッシュ競技場でのゴールと言う設定でした。

イギリス王室

ところが、国王あるいは皇太子妃がスタートを宮殿の中から見たいと言ったため、スタート地点を急に城の庭に変更してしまい、そのために42.195キロという曖昧な数字になってしまった、という逸話があるのです。

当時の英国の力が非常に強かったことを思わせる説ですね。

ただ、走ることのロマン。それがマラソン

マラソン選手。

おそらく普段長距離を走っていない人が、5キロないし10キロ、いえ、1キロ走っただけでも、物凄く苦しいものですが、彼らはその何倍もの距離を走ります。

マラソン観戦の魅力は、ただ走るという単純なスポーツながら、それゆえにそのつらさ、道のりの長さが想像できることでしょうか。見ていると、自然に心から頑張れ!と応援したくなりますよね。2500年前に、初めての命をかけたランナーが誕生したことに思いを馳せると、またいつものマラソン観戦が、違ったものになるかもしれませんね。

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